第2話「偶然以上の再会の仕方」
「いや、よかったよ、幸せそうだったから」
麻衣は憑き物が落ちたような顔でそう言って、私は少し心を痛める。
痛いのは心だけじゃなくて、履き慣れないヒールにやられた踵もだけど。
「麻衣、そう言えるの偉すぎ。無理しなくていいよ」
何が入っているのだろうか、引き出物の紙袋がやけに重たい。それを左手に持ち替えて、右手で親友の背中を撫でる。
渋谷駅に向かう宮益坂のくだり勾配は、足への負担を一層強くしている。
「そもそもさ、結婚式に元カノなんて、フツーは呼ばないよ? アイツ、どういう神経してんのよ」
披露宴の間、ずっとこの発言を、我慢していた。
でも、それを言っても麻衣の表情が変わることはなく、機嫌良さそうに「確かにね」と返した。
「まあ、招待されたからって、のこのこと行く私も私じゃない?」
「そりゃそうかもだけど。でも、麻衣は悪くないよ」
麻衣は首元に巻いていたファーを両手で軽く握る。細くて白い指は、私のそれとは全く違って見えた。
「幸せになってね、とか思うの?」
「まさか」
麻衣は少し驚いた顔をした。
ただでさえ大きい瞳をさらに見開いて、その後、目を細める。
「一生平凡で終わってね、って思ってる」
「うはー、きついそれは!」
思わず笑ってしまった。長い付き合いだからわかっていたつもりでも、私が想像していたよりずっと、麻衣はたくましい。
「私、才能ある人が好きだから」
「それ、一生結婚できない人が言うセリフだよ」
「いいじゃん、その時はその時で」
「いいの?」
「んー、つまらない男と結婚するくらいなら、おもしろい人生を選びたいから」
強い風が吹いた。それでも麻衣の声は、小さくてもかき消されることなく、ハッキリと聞こえる。郵便局をようやく過ぎ、渋谷駅に近づくにつれて、いくつかの川が合流するように歩行者の数が増えていく。
「そっちは? あの人と、ヨリ戻したの?」
披露宴会場では、お互いの恋愛について、話しづらかったんだろう。麻衣は忘れ物を確認するような何気ないテンションで、私の過去について訊ねた。
「何もないに決まってるじゃん。何年経つと思ってんの」
別れて、三年。その間、私は誰とも付き合っていない。
「えー、時間は関係ないじゃん。運命の人だったんでしょ?」
「そんなんじゃないよ」
思いきり否定しながら、久しぶりに、あの人の存在が頭の中でじんわりと広がり始める。
「いや、当時言ってたよ、これが運命なんだーって」
「だからそれは、まだ若かったから」
「あ、年齢のせいにすると老けるよ?」
「ねえ、なんで急に厳しいの?」
麻衣はフフと悪戯した後の子供のように笑った。
「でも、本当にそうじゃない? 年齢なんて、諦める時の言い訳にしか使わないでしょ?」
麻衣がそう言い終えたタイミングで、ちょうど宮益坂を下りきった。式場から歩こうと提案したのは私だったけれど、意外と距離があった。ここまで離れているならすぐにタクシーを使えばよかった。
「もう、踵が限界。ちょっと先に休憩しない?」
麻衣は何度か頷いて、私たちはヒカリエのレストランフロアに向かった。
――二次会、行かないでしょ? 時間あったら、一緒に展示見に行かない?
麻衣に誘われたのは披露宴の終盤、新婦が両親への手紙を読み始めてすぐのタイミングだった。今誘うことないでしょ、とできるだけ声を殺して隣に座る麻衣を注意した。近くのテーブルからは、早くももらい泣きで洟をすする音が聞こえていた。
「あんな手紙、みんな大体似たようなことしか言わないじゃん」
「こら」
私は笑いながらツッコむ。麻衣は学生時代よりも破天荒になった気がする。それでいて、学生時代よりも魅力的に見えたから不思議だった。そんな麻衣に誘われたことが嬉しくて、興味なんて全然ない展示に、わざわざついていくことにしたのだ。
渋谷ヒカリエのレストランフロアの一角にあるカフェは、混雑のピークを抜けた安堵感に満ちていた。
「さっきの話さ、一度でも、運命の人だって思ったんだよね?」
麻衣は小さめのパフェにのった苺を大切そうに口に運びながら言った。
「またその話? しつこいな」
「だって、興味あるじゃん。私、そういうの感じたことないし」
「いやー、でも今考えれば、あれは運命じゃなくて偶然だったって感じ。そういう勘違いってさ、恋してる間は気付かなかったりするじゃん」
「へえ、そういうもんなの?」
麻衣は、結婚式のことを思い出しているのかもしれない。元恋人の結婚式に出席するのは、どんな気持ちなのだろう。どうして断らず、参加したのだろう。
「大体の出会いとかはさ、運命じゃなくて、偶然だよ」
私が言うと、麻衣はテーブルに身を乗り出して言った。
「じゃあ、たとえば今日、その人と再会したら? さすがにそれは運命じゃないの?」
「そんなこと、あるわけないじゃん。それこそ運命すぎるわ」
そう冗談みたいに話した。運命なんて、信じてないからだ。
ところが、それからわずか十分後である。
運命は、まるで決められていたかのように自然と訪れた。
エスカレーターを乗り継いでたどり着いた9階のヒカリエホール。
そこで突然、名前を呼ばれた。
「え、何してんの」
振り向くと、そこには確かに、さっきまで頭に浮かべていた男が立っていた。
「そっちこそ、どうして」
「ああ、俺、さっきたまたまここのチケットもらっちゃって。財布拾ったお礼にって」
何年ぶりだろうか。少しくたびれた印象はあるけれど、雰囲気は何も変わっていない。当時と同じ、真っ黒なシングルのライダースジャケットを着ている。
「ね、だれ?」
麻衣が、私の脇を軽く突いた。私は視線を彼から外すことなく、質問に答える。
「えっとね、運命」
「マジか」
確かにこの人が、自分にとって運命と思えるほど、深く愛した人だった。
illust : naohiga
*この小説はフィクションです。実在の事象とは異なることがあります。